本願寺

西本願寺(にしほんがんじ Nishi Honganji)、正式の寺号は本願寺(ほんがんじ)。山号は龍谷山。同じ下京区内にある東本願寺(正式名称は真宗本廟)と区別するために「西本願寺」「お西さん」などと呼ばれることが多い。 2011年4月9日より本願寺御影堂にて親鸞聖人750回大遠忌法要開始予定。

境内には桃山文化を代表する建造物や庭園が多く残されており、境内が史跡に指定されている。また、平成6年(1994年)12月には、古都京都の文化財の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。建物の配置と構造は真宗建築の典型で、親鸞聖人像が安置されている御影堂(ごえいどう)が本堂(阿弥陀堂)よりも大きく造られている。寛永13年(1636年)に建立された御影堂は、「寛政の大修復」寛政12年(1800年)及び「平成大修復」(1999年 - 2008年12月)と2回の修復を行った。

宗祖親鸞聖人入滅後、末娘の覚信尼が1272年(文永9年)に現在の京都市東山区林下町(知恩院塔頭・崇泰院付近)に廟堂を営み、遺骨を安置したのが本願寺の発祥とされる。その後、廟堂は内紛のため破壊されたが、3代覚如が再建して専修寺と号し、さらに本願寺と改称した。その後、各地に寺基を移転、1591年(天正19年)、豊臣秀吉により寺地の寄進を受け、天満にあった寺基より現在の堀川六条に移転する。廟堂は江戸時代初頭、東山五条坂西大谷に移り現在の「大谷本廟」となっている。

11代顕如の子教如が徳川家康によって本願寺の東に寺領を与えられ、1602年に本願寺が東西に分かれた際、教如が開いた寺を東本願寺と呼んだため、それまでの本願寺は西本願寺と通称されるようになった。 幕末期には京都を守る剣客集団新選組の本拠地ともなっている。現在まで境内地に大きな変化は無いが、1876年(明治9年)に真宗興正派が独立した際に南境内地を割譲。近年、境内地北側の旧本圀寺跡地(日蓮宗大本山、山科区に移転)を購入している。本願寺の寺基自体は400年以上に渡り移転していない。