京都は、日本の歴史的な都。
京、京師、皇都ともいう。
794年に日本の首都に定められた平安京にあたり
日本の政治・日本の文化の中心地となった。
正式名は東山慈照寺。山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は、室町幕府8代将軍の足利義政、開山は夢窓疎石とされている。(夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物であり、このような例を勧請開山という。)
足利義政が造営した楼閣建築である観音殿を「銀閣」と通称し、観音殿を含めた寺院全体を「銀閣寺」と通称している。この通称名は近世の名所案内記などですでに使用されている。
なお、金閣と通称される鹿苑寺舎利殿には金箔が貼り付けられているのに対し、銀閣と通称される慈照寺観音殿には銀箔は使用されていないが、全体に黒漆が塗られていたと考えられている。なお修復に際し、黒漆を再現するべきか、現在の木目をそのまま生かすか議論が分かれている。
銀閣は、足利義政の山荘東山殿に造営された観音殿のことで、義政の祖父・3代将軍義満が建てた金閣と対比されて用いられる通称である。1489年(延徳元年)に上棟されたことがわかっており、同年をさほど隔てない頃に完成したと思われる。
重層、宝形造、杮(こけら)葺で、平面は長方形で正面8.2m、奥行7.0m。初層の「心空殿」は住宅風、上層の「潮音閣」は方3間(柱間の数が正面・側面とも3つ)の禅宗様(唐様)の仏堂である。書院造につながる和風の住宅風意匠が取り込まれており、東山文化の代表的建築物である。
鹿苑寺金閣が文字どおり金箔を貼った建物であるのに対し、銀閣には銀箔を貼った痕跡はない(2007年1月5日には科学的調査によって銀箔が全く検出されなかったことが発表された)。慈照寺の庭園には多くの名石、名木が配され、建材にも贅を尽くしていること、当時の東山文化が茶道趣味と禅宗文化を基調にしたものであったことを考えると、当初から銀箔を貼る計画はなかった可能性が高い。「当初は名前のとおり銀を貼る予定だったが、幕府の財政事情のためにできなかった」という説や、「銀箔を貼る予定であったが、その前に義政が他界してしまった」という説や、「当初は銀で覆われていたが、剥がれ落ちてしまった」という説が存在する。ちなみに、義政の妻日野富子はびた一文たりとも出さなかったという話がある。
金閣、飛雲閣(西本願寺境内)と併せて『京の三閣』と呼ばれる。